リトルの悲劇

 中学受験が終はった時期だからかういふ視野の狭い記事が出るよね。首都圏のごく限られた現象に囚はれて広い日本が見えてゐない。受験のことをダイレクトに書くと生々しいので、ここは少年野球のことを紹介しよう。

 御存知、都会には少年野球のリーグがたくさんある。私も興味があって息子を体験入団させてみたが、しばらくして閉口してしまった。恐るべき成果主義なのだ。成果主義のどこが悪い?と思ふが、参加者は10代前後の子供だ。彼らの成果を競ったところで、彼らが、今すぐプロ野球で活躍できる訳でもないし、オリンピックでメダルを取れる訳でもない。無意味だ。それよりも5年後の甲子園や10年後のプロ野球、そして、野球経験が人生にどう関はっていくか全く考へがない。
 10代前後の子供に、成果主義を導入すると、彼らは外面だけで判断する。努力などまったく考慮しない。成果が出なければ劣等感で落ち込む。成果が出れば天狗になる。前者になるとそこで野球をやめてしまふ子も多い。もちろん、その程度で躓く奴は才能がないからやめても構はないのだが、身長が伸びる前の成果で判断してもいいものか?彼らが成長したらその中から優れたプロ野球選手がでるかもしれない。
 もっとも、その確率は非常に低いので無視してもいいかもしれない。実は、それよりも深刻なのが成果が出て天狗になってゐる方なのだ。子供の場合、成果と努力は直結しないから、成果が出た時点で、自分が全知全能の神だと勘違ひしはじめ、ヘタな選手を後輩先輩構ひなく罵倒し始めるし、たまに結果が出ないときは、他人のせゐにしたり体調のせゐにしたりする。そのうち自分の成果が努力の賜物だといふことも忘れて怠け出す。しかも回りも同じ状況だから、相対的にヘタになってゐることに気付かず、高校生のころになったら、エゴだけの凡選手になり、高校野球では通用しなくなる。
 一方、地方の野球と言へば、基本的に草野球で全員参加だ。ヘタクソでも来る者は拒まず、取り敢へず、野球さへ好きならば高校まで脱落することはない。さすがに甲子園が掛かってくると成果主義になるが、少なくとも、それまでは全員参加なので、真の優秀な選手が残ることになる。人口100万人程度の県の県立高校があっさり甲子園での優勝するのはさういふ環境にあるからだ。
 一方、都会の野球と言へば、早熟型の選手だけを選別し、大器晩成型の、むしろこちらの方が伸び代のある選手を劣等感と憎悪とともに野球から追放し、そして早熟型の選手はその環境に安住して切磋琢磨を怠る。結果として都会の高校は、個人プレーの割には甲子園では全く活躍できない。

 サッカーも似たやうな事情があるし、実は、中学受験も似たやうなものだ。大器晩成型の秀才が中学受験のチャンスも得られず、公立中でスポイルされるし、中学受験を勝ち残った子供は、進学校で怠惰な日々を送り、プライドだけで学力も向上もしない、結果として6年後、地方の県立高校出身者の方が東大に多数合格してしまふ。何よりも問題なのは、リトルリーグも中学受験もお金が掛かりすぎる。貧困の中にも天才はゐる訳で、そのやうな若者を発掘する仕組みがなくなれば、早晩、社会は衰退するものだ。

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