性悪説と危険回避

 某ブログのコメント欄にいろいろ書いてゐたので、久々にこちらも更新してみる。私は、小学校から高校まで公立一本、大学は国立大学なので、お坊ちゃまが行くやうな私立学校のお世話になったことはないのだが、当然のことながら、不良が跋扈する中学校に放り込まれた経験を持つ。まあ、この頃を語ると実体験のない人には武勇伝と揶揄されるので詳細は書かないが、「思ひ出すと不愉快、語ると荒唐無稽な事件」の連続だったわけだ。そこで唯一人生に役立ったことは「性悪説と危険回避」の二つを体得したことだ。
 「不良に道理を説いても通じない(性悪説)」「不良に絞められても誰も助けてくれない(危険回避)」。「不良」の箇所を「気違ひ」「ストーカー」「特亜」に代へても同じことだ。さて、

 この事件、二人も殺害して死刑にならなかったのが喧騒を巻き起こしてゐるが、市民感情としては妥当だと思ふ。被告と被害者(娘)は長い間面識があり、金銭的にも相当濃厚な関係であったやうだ。家族(祖母を含む)もその娘の稼ぎを期待してゐる面もあった。果たしてこの家族に「性悪説と危険回避」の知恵があったであらうか?娘が「客」から「ストーカー」に変貌するときにシグナルを読む力があったか?娘が高額のバイトをしてゐることに何がしらの危険を感じなかったか?一方的な被害者とは言へない側面がある。ここが秋葉原歩行者天国を歩いてゐただけでトラックにはねられて亡くなった被害者とは違ふ。次に、

 領土問題はロシアに限ったことではないが、日本国に「性悪説と危険回避」の発想はないのか?GHQ憲法を読むと確かに書いてゐない。そりゃ外交で失敗続きなのも分かる。「性悪説」とは、相手が自分にとって最も不利な行動を取ることであり、「危険回避」とは、相手の動きを2手も3手も先に読んで、危険な状況に追ひ込まれないことである。日本に最も必要なのは「性悪説と危険回避」である。